前回の記事では、未来の地球(新エルサレム)では、感覚器官(門)がカルシウム(真珠)であるということを書きました。そして、現在の人体においてカルシウムは主に骨に関わっているという話をしました。
骨の中でも最も重要なのは背骨(脊椎)です。背骨を浄化すること、それこそが新エルサレムの真珠の門をくぐることなのではないかというgabrielaの考察も書きました。
そして、背骨の浄化は何によって行われるのでしょうか? それは、クンダリーニによって行われるのではないか、とgabrielaは思います。
そして、これが、かつて天国(エデンの園)から追放された私たちが、再び天国(新エルサレム)に入る条件になると考えています。
今回の記事では、このクンダリーニの意味についてと、ここ最近一般的に言われている女性性の開花や性の解放との違いについて書いていきます。
浄化された真珠=浄化された(女性の)性エネルギー
真珠は主に女性の性エネルギーと関連していますが、それは、クンダリーニによって洗練された女性の性エネルギーに他ならないと思います。
つまり、クンダリーニで背骨を浄化するような体験、それこそが天国に入ること(新エルサレムの真珠の門を通ること)なのだと考えています。
クンダリーニとは、人間に埋め込まれた動物的な性エネルギーを終わらせる(昇華させる)もの
よって、このブログでは、主に性エネルギーに関する話を書くことになりますが、それはあくまで天国(新エルサレム)に入るためにどうしたらいいか?という観点からのものになります。
実は、クンダリーニという言葉の語源を探っていくと非常に面白いことが分かります。
Samael Aun Weorによると、クンダリーニとは、「太古の昔人間の第一チャクラに埋め込まれた動物的な性器から出てくる肉欲の炎を終わらせる」という意味なのだそうです。
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Kundaとは、この太古の昔に埋め込まれた動物的な生殖器のこと、そしてliniはアトランティス語で終了という意味だそうです。
つまり、性欲に突き動かされるままに行動する(そして射精やオーガズムという禁断の実を食べる)のではなく、この性欲を終わらせることがクンダリーニという言葉の中に既に含まれているというのです。
クンダリーニとクンダバッファーは違う
ここで、とても重要なことが1点あります。
それが、クンダリーニとクンダバッファーは違うという話です。
クンダバッファーというのは、尾てい骨から下に向かって伸びるネガティブな形で活性化された性エネルギーのことで、このクンダバッファーは、一般的に悪魔のしっぽと言われています。
クンダバッファーは、姦淫や不倫、正当ではない(※この場合、ヘテロセクシャルで正式な婚姻関係以外のという意味)カップル同士の性行為、暴力的・搾取的・支配的な性行為などによって活性化されるといわれています。
具体的に言うと、ポリアモリーとか不倫とか、はたまたLGBTとかとかとか・・・は、すべてNGということらしいです。
それどころか、オーガズムを得ようとか良いセックスをしようみたいな、性の快楽を味わいつくそう!みたいな方向性もNGなのだそうです。
今巷で言われているような性の解放や女性性の開花で叫ばれていることによって活性化されるのは、クンダリーニではなくクンダバッファーなのだということです。
クンダリーニはあくまで性エネルギーの「昇華」だからだそうです。そのためには、何かの「断念」をしなければならないのは必須です。
※クンダバッファーについては別の記事で語ることにします。
術やノウハウではクンダリーニは活性化しない、大切なのは純粋な愛
結局、クンダリーニを活性化させるために必要な条件は一つ、生きた倫理(モラル)なのだそうです。
今、洋の東西を超えてタントラとか房中術とかの情報が簡単に手に入る時代になっていますが、モラルのないスピリチュアルなツールを用いて行う性のエネルギーの活性化は、非常に危険なようです。
とはいえ、モラルって言っても自分には自信はない・・・っていう人多いですよね。私も、正直そこまで品行方正ではないので、モラルと言われると身構えてしまいますが、形骸化したモラルではなく生きたモラルというのは、要するに純粋な愛ということです。
純粋な愛があれば良いということはとても深いことです。
再びファウストのグレートヒェンの話に戻ると、ファウストもグレートヒェンも、婚前交渉というアンチモラルな行為をしたわけですが、最終的にそこから生まれた愛が純粋だったがゆえにグレートヒェンは天界では天使のような存在となった、というのが重要です。
こんな風に、性エネルギーは(このブログで紹介している)真珠のメタファーで理解するととても分かりやすいと思います。
なぜなら、性エネルギーに関しては、まだまだ人間は誤謬と欺瞞に満ちた扱いしかできないのですが、まさにその誤りの多い不完全な性エネルギーの中から本当に純粋な愛が生まれ、それがお仕着せのモラルではなく生き生きとしたリアリティのあるモラルとなったときに、クンダリーニが目覚めて(背骨を上って)天国の門が開くから、なのです。
ここに大きな救いがあると思いませんか?