この記事は、前回の記事からの続きです。中学1年の夏、あることをきっかけにして教会に通い始めるようになったという話の続きです。
救いを求めて毎週教会に通うになった中1の私。実はその教会は、小学校時代の同級生のお父さんが牧師をつとめる教会でした。
私は中学生の子たちが学ぶ聖書のクラスに入りました。クラスでは、毎週色々なテーマで話をしました。ICUの学生さんが手伝いに来てくれて、ヨルダン旅行の話をしたりと、実に和気あいあいとした雰囲気。
学校で牧師先生がしてくれたようなヘビーな内容というよりは、もっと気楽な話が多かった。
よって、あまりにヘビーな私の悩みに対する解決策のようなものを気軽に聴けるような雰囲気はありませんでした。
というか、日本のクリスチャンホーム(キリスト教の信仰を家族で持っているおうち)というのは、基本的に高学歴だったり、社会的にも上流階級が多く、はたから見ていて家庭内に何にも問題がないようなところがほとんどでした。私は、そういう大切に育てられている人たち、家族の仲が良い人たちが心からうらやましかった。家が不気味で帰りたくない、夜寝るのが怖いなんて悩みはとても言えたものではありません。
そういうわけで正直、中学生クラスの中身には失望していましたが、そんな中、牧師先生のひとりがこうおっしゃっているのを聞きました。
曰く、「神様(イエス様)への真剣なお祈りは打率9割以上だから、なんでもいいから絶対にお祈りしてみるべきだよ」と。
それを聞いてから私は、毎晩真剣にイエス様に祈ってもう二度と「そのこと」が起きないようにと、祈り続けるようになりました。確かに祈っているうちに眠れた日は、睡眠が深く、安心感がありましたし、実際に何も起こらなかった。光のようなものを感じることもありました。
やっぱり神様は要るんだなと思うこともあった。
ただ・・・
牧師先生が打率10割とは言わなかったように、残念ながら祈って寝ても、残りの1割くらいのとき(祈りが効かないとき)というのがありました。
一応、物理的には何も起きなかったけど、その1割に相当するときというのは、いわゆる低次アストラル界でのサイキックアタックのような体験をすることがありました。
こういう恐ろしい現象に心を壊されないために、私は本と勉強の世界に逃げていきました。架空の世界に没頭したり、勉強という行為に没頭すれば、アストラル的な念はある程度シャットアウトできると気付いたからです。というか、意識的に体と頭を切り離す傾向をここで強化したと言ってもいいかもしれません。
これは私が大学1年の18歳になるまで断続的に続きました。一番ひどかったのは18歳のときでした。大学1年の秋、私が彼氏を家族に紹介し、その翌年ドイツに短期留学に行くことになったあたりで、急速に止んでいきました。
私の通っていた大学は家柄の良いおうちが多く、表面的にはどうか分かりませんが、基本的におうちが天国のようなところがほとんどの学生の環境だったと思います。
私は、この人たちに所与のものとして与えられている平和で安心できる家庭というものを、これから作り出していかなければならないのかと、愕然としたのを覚えています。勉強は頑張って自力でなんとかなりますが、幸せな家庭、平和な家庭って、自分一人では手に入らないから。
そして、どういうところに行っても、家族がどういうものなのかっていうのは聞かれますよね。就職しても、友達が新しくできても、、。
だからこそ、その当時の彼氏が信仰心を持っているて「いつもあなたのために祈っています」と言われたことが好きになるきっかけだっただなと思います。
・・・ただ、今から思うと、私の家族を「そのこと」に駆り立てるのきっかけを作ったのは、私が小学校6年生の時に出会った痴漢から受けたアストラル的寄生虫の影響だったのかもしれません。
先日そそう気づいてから、ずっと避けていて家を出てからこれまで数えるくらいしか会っていない家族に対して、むしろ私が加害者であった、申し訳ない、という気持ちになっています。家族を苦しめていたのは私が原因だったのかもしれないと。
そういう意味でも、本当にアストラル的寄生虫を駆除する方法、浄める方法というのは、絶対に知っておいて損はないと思っています。